新年あけましておめでとうございます(平成31年)
新年、あけましておめでとうございます。
旧年中は公私ともに大変お世話になりました。
しばらくブログの更新が出来ないままに新年を迎えました。
何事も区切りが大事。ということで新たな気持ちで、ブログにて近況報告やら情報発信を行っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
平成最後の元旦。
新しいカレンダーをめくり、思ったこと。
冬至や小寒、立春、春分などの季節を表す言葉もあります。
そういえばこれって、毎年同じ日じゃないし、どうして?
分からないと思うと「なぜなぜどうして?」と思ってしまう・・・
暦について調べてみました。
※太陽太陰暦(旧暦) (国会国立図書館HP引用)
1ヶ月を天体の月(太陰)が満ち欠けする周期に合わせます。天体の月が地球をまわる周期は約29.5日なので、30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました。一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.25日で、季節はそれによって移り変わります。大小の月の繰り返しでは、しだいに暦と季節が合わなくなってきます。そのため、2~3年に1度は閏月(うるうづき)を設けて13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。大小の月の並び方も毎年替わりました。
今の1月1日は、太陽暦(グレゴリオ暦)の1月1日のことをいうのですが、それ以前は太陽太陰暦(旧暦)で暦を決めていました。
いつ変わったのか?は、先日終わった大河ドラマ「西郷どん」にありました。
※明治の改暦 (国会国立図書館HP引用)
明治維新(1868)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたのです。
準備期間がほとんどなく、本来ならば明治5年12月3日が、新しい暦では明治6年1月1日になってしまったので国内は混乱しましたが、福沢諭吉などの学者は合理的な太陽暦を支持し、普及させるための書物を著しています。
これには裏話があるそうで・・・
明治政府は、当時財政難で明治6年が閏年であるため(1年が13箇月になる年)改暦を急いで公務員の1箇月分の給料を浮かせたとか・・・
もしこれが、現代ならコンピュータにバグが発生して大混乱するんだろうな・・・
因みに旧暦のお正月は、平成31年2月5日だそうです。
もう一回、お雑煮と初詣 するのもいいかもしれません